97年製Z世代ハードロック好きの自由帳

1997年7月生まれが愛してやまないハードロックを語っています。

生育環境

最近、今年に入って特にそう。


責任転嫁する訳ではないけど、幼少期のトラウマであったり、何気なく親に言われた言葉や振る舞いが原因で現在随分と生きづらいっていう悩みを相談される数が多くなった。


その中でも共通しているのが、親。



親が家や車をローンで買ったため、返済すべく今も身体を壊しながら働いていて家庭環境もギスギスしている


親に言われた心無い言葉が積み重なり、現在も後遺症が残っている


親が問題行動ばかり起こし、度々振り回されてきた


幼少期より両親の仲がよろしくなく、気を遣いながら成長してきたため気疲れすることが多い


親に嫌々させられた習い事や部活動により、本当にしたいことができなかった



などなど。


幸い僕の両親は僕のことを愛情いっぱいに育ててくれた。


精神的にも物質的にも足るを知っていたんやろうね。


なので僕は今、この通り自由にパワフルに生きてるんやけどもこれは稀やと思う。



だって親も人間なんやもん。


完全な人間なんて存在してないし、そりゃあ不完全なまま子供を育てるのは当たり前。


っていうことまでは僕も分かるんやけども、そのお友達の親御さんの考えていたことも、当事者のお友達のことも全てが分かる訳でも無ければ僕が救える訳ではない。


「みんなが止めてきたけど、僕が全力で手を差し伸べたら救えたから今回も....」


なんて頭に浮かんでしまう。



昔、すごく人懐こいんやけども周りからは素行などがどうしようもないから関わるなと言われていた女の子が居た。


僕自身、来るもの拒まずで一緒に楽しい時を過ごせるのであれば身分や見た目、果てには人種や種族も関係無くワイワイしてたから当然その子とも仲良くしていた。


僕は両親の教育のおかげか幸い勉強はそれなりにできたので勉強を教えながらも仲を深める。
やっぱりその子も親御さんや家庭環境に問題がある様子だった。それがそのまま素行に影響し、いつしか周りから煙たがられるように....。


そんなことをしていると当然、周りからストップをかけられる。


それでも僕は持ち前の諦めの悪さや反骨心、過信気味の自信、はたまた慈愛の精神を持って周りからのストップを振り切ってその子と接していた。



そして、半年後....



その子は着々と成績を上げ、志望していた進路以上のところに進むことができたとの知らせが。


「ありがとうね。あんたに出会えんかったらあたし、あかんままやった」


って言われた時は涙腺が危なかったから後で泣いた。


それから2,3年が経過し、結婚して子供まで授かったってことを人伝いに聞いた。


結婚がゴールとは言わんけど、目標達成に貢献できて、その後に人生を勝ち取ったと聞いて僕はその子を救ったと思った。



けれども結局、救えたかは今になっても分からなければ明らかになる日なんて来ない。


人ってもんはよくできてるね。


成功体験があれば天狗にも成り下がる。


だから今回、お友達たちにそうやって相談されても同じようなことが頭によぎった。



見た目はヒール役のくせにヒーローになりたがる癖、なんとかしたいね。



同時に自分自身はその方向で有能でもなければそこまで力も無いし、むしろ他者の運命、人生そのものを変えてしまうことになるんだから、烏滸がましさなんてものも感じた。


それに、他人は変えられない。


他人の言動がきっかけになることはあるけれども、結局は自分の意思が主な原動力となって人は変わってゆく。



そもそも、もう成人から5年以上経過してるんやから自己責任は当たり前よね。



それでも僕にできることがあるのであればするけどね。


話聞くのはもちろん、飯なり飲み物なり奢ったりぐらいなら時間が許すのであればする。


アドバイスはちょっと勘弁して欲しいかもやけども。


それに、今の僕にはやりたいこともあるのであくまでそれが最優先。


歯痒さも感じるけど、それが人生やと思ってる。


ストレートにやることなすこと全てが上手いこと行けばいいけど、それは不可能。



だからこそ楽しいこともあるし。


誰やっけな、誰かが


「不自由であることを知り、楽しんでこそ自由」

って言ってたのがすごいしっくり来る。


あと何より言いたいのが、僕の両親はすごい。

親という字のように、木の上で立って見守るのを体現したような親やと思う。


当時は何を言ってるのか分からんかったけど今になって、特に今年に入ってから理解するようなこともたくさん教わったし、今思えばあれが英才教育やと思う。


なのでそんなすごい親を持ち、英才教育を受けた僕は今日も僕のために生き、時々身の回りの人たちに手を差し伸べる。