最近父親から
「やっぱりキンクスええわ」
とめちゃくちゃ念押しされるので聴いてみた。
アレよね、Van Halenのデイヴ時代にカバーしてた元曲よね。
たまにはこういうもっと古いのもいいな。
父親も言うてたんやけど、この泥臭さがアメリカ感を醸し出してるんやけれどもこの人たちはイギリスのバンドなんよね。
逆ホール&オーツみたいな。
僕が完全にイギリスのR&Bバンドやと勘違いしてたやつ笑
なんだかキンクスを聴いていたら、このDimarzio SDS-1が何故このGreco SE-600 (1979)に付いてるのかがよーく分かる。
見た目はかろうじでそのものや役割と同じ姿形をしているけれども、中身が逸脱している様は好きよ。
僕自身が目指し続けてるところでもあるし。
とか考えてたら不注意で車の右前をぶつけてしまった。
バンパーとフェンダーを跨ぐ50cm強ぐらいの傷ができたので流石にまずいと思って両親の知り合いの自動車整備工場のおじさんのところに持って行った。
やっぱりぶつけた時も僕自身マルチタスクを抱えていて、前職の頃からマルチタスク地獄やったからちょっと休めばいけるかなーとか思ってたけど、人間そこまで器用じゃなかった。
そんなこんなしていたら、7/7の朝目覚める前に夢を見た。
小学校2年生から中学校1年生の時に飼っていた雑種の猫が出てきた。
おそらく数分間の夢やったけど、あの頃と変わらない姿で僕の前を笑顔で歩き回っていた。
それから起きて、どうしても車を使わないといけない用事があったので代車に乗り込んだ。
そしたらフロントガラスに肉球の跡が。
これ、借りた時はついてなかった。
代車ってことで慣れてなかったから一応家まで乗って帰って運転席から助手席まで隅々を調べてたから、フロントガラスに何かついていたら絶対見つけてたのが理由。
僕はすぐに悟った。
あの子が会いに来てくれたんやって。
しかも代車に乗ってようともしっかり認識してくれてるんやね。
そこから運転中にも関わらず涙がぼろぼろ出てきて泣きながら運転してた。
家に帰ってからはシャワー浴びながら2時間以上も泣いた。
枯れるんじゃないかってぐらい泣いたし名前を何回も呼んだ。
片時も忘れたことは無いし、後悔という後悔は無いんやけども、別れの突然さと最期が切なすぎるあまりに14年越しにこうして色々思い出すと果ての無い悲しみに襲われる。
しかも14年後、4940日後の七夕に会いに来てくれるっていうのもあの猫らしい。
僕はもう、誰の彦星でもないけれどもあの子は僕のただ一人の織姫なのかも。
嬉しさと悲しさと切なさでとにかく涙が止まらない。
間違いなく人生で一番悲しい出来事やと思う。
今までの元カノやそういった関係の方々はどんだけ嫌いでも車や新幹線、はたまた飛行機に乗ればまた会いに行ける。
でもあの子には会いに行けない。
恋愛とか関係無く、両親以外で誰よりも僕に対して無償の愛と永遠の愛、真実の愛の全てを与えてくれていて、僕もまた返していた存在。
そんな愛しい子に会えない。
その事実が何よりも僕の心をえぐる。
それから何日も泣き続けた。
この記事を書いてる今も、嗚咽の合間に胸の内を書き殴ってる。
ここまで出口の見えない、深い悲しみに苛まれるぐらいならばいっそのこと消えようかとも頭によぎった。
しかし、今消えることができてもこの悲しみからは解放されるけれどもあの子の元へは行けない。
なぜならあの子は良い猫を全うしたから。
僕も良い人間を全うしないと、おんなじところへは行けない。
またいつの日か名前を呼び合い、一緒に寝たり、会えなかった日々の思い出や僕の余生の話をする為にも、泣き顔でも1ミリずつでいいから前を向かないとな。
あと、時間はたっぷりあるから働いてた頃は蓋をしていた自分自身の悲しみにも気が済むまで向き合おうと思う。
いつまで泣くんだろうな。
どこまでも向き合うけど、あんまり泣きすぎるとイケメンが台無しになるからなぁ。
それに、泣き顔ではiPhoneの顔認証は作動しないからね。
少しずつギターに慰めてもらいながら明るいこと考えよう。
そうしないとあの子も僕が心配でいつまでも向こうに帰れやしないやろうし。
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